【本の要約】アドラー心理学:嫌われる勇気 承認欲求を求めるな

【本の要約】
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はじめに

200万部を突破したベストセラー「嫌われる勇気」を読んでみました。
本書は心理学に精通したアルフレド・アドラーの思想を物語形式にまとめられています。
アルフレド・アドラーとは、オーストリア出身の心理学者・精神科医であり、アドラー心理学という流派を創始した方です。

心理学書とか哲学書って、難しいことが書いてあって、結局言いたいことがわからない、なんとなくわかるけどつまり何?って思うことが多いですよね。
本書は、物語形式のため、読みやすい本となっております。

アドラー心理学とは、他者を変えるための心理学ではなく、自分が変わるための心理学です。
本書は上の一文に集約されると思いました。

【嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え】
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では、「嫌われる勇気」を要約していきたいと思います。

【第一夜】トラウマを否定せよ

原因論から目的論へ

アドラー心理学では、原因論から目的論に考え方を変えるように述べています。

原因論(一般論)
過去の出来事によって、現在の結果が規定されている
例:外に出たい男性は、過去のトラウマのせいで、外に出ることができない

目的論(アドラー心理学)
現在の結果のために、過去の出来事に意味を与えている
例:外に出たくないという目的のために、過去の出来事に意味を与えている。

「人は変われる」という前提を考えたときに、原因論では過去を変えられないため人は変われず、目的論で考えてこそ、人は変われると述べています。
そのため、トラウマを明確に否定しています。
トラウマとして考えることによって、自らを決定する意味を持たせていると述べています。

目的論の考え方

目的論の考えていくと、
「喫茶店で、ウェイターがある人の新品の上着にコーヒーをこぼした。そして、その人は思わず大声で怒鳴りつけた」
ことは、
「大声を出す」という目的のために、「ウェイターのミス」で怒りという感情を捏造した
と解釈されます。

アドラーの目的論で考えると、

  • 人は感情に左右されない
  • さらには過去にも支配されない

となります。

ライフスタイルを変更する

ライフスタイルとは、思考や行動の傾向のことです。
ライフスタイルは、狭義的には性格で、広義的には世界観や人生観などが該当します。

ライフスタイルは、意識的にせよ無意識的にせよ、自ら選んでいます。
そして、ライフスタイルが先天的ではなく、自分で選んだものであるため、再び自分で選びなおすことも可能です。

もし、いまのあなたが不幸ならば、自らの手で「不幸である」ライフスタイルを選んだからであり、
「不幸であること」がご自身にとっての「善」だと判断している。
また、あなたが変われないでいるのは、自らに対して「変わらない」という決心を下しているからです。

人はいろいろと不満はあったとしても、「このままのわたし」というライフスタイルでいることのほうが楽であり、安心であるということです。

例を挙げると、
小説家を夢見ながらも、仕事が忙しく、作品を書き上げられない人がいる
この人は、仕事が忙しくてできないのではなく、応募しないことによって、「やればできる」という可能性を残しておきたいため、現在のライフスタイルのまま生きていると考えられます。

人は「可能性の中に生きたい」ので、可能性をなくしたくないために、現在のライフスタイルを変えない決断をしているのです。
そのため、ライフスタイルを変えるには勇気が必要です、つまり「幸せになる勇気」が必要です。
これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてはなんの影響もない

【第二夜】すべての悩みは対人関係

自分を嫌いな理由

赤面症の女性がいて、赤面症が治ったら、お付き合いしたい男性に告白すると言っています。
しかし、女性の赤面症はなかなか治りません。
それは、彼女が赤面症という症状を必要としているからです。
赤面症が治らなければ、告白することもなく、赤面症が治ったら告白するという可能性のなかに生きることができます。

同じように、
自分を嫌いだと考える理由は、他者から嫌われ、対人関係のなかで傷つくことを過剰に恐れているためです。
自分を嫌いになり、対人関係に踏み出さない人間になれば、他者から嫌われることも、対人関係で傷つくこともなくなります。

人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである

対人関係のなかで傷つかないことは、基本はありえない。
そのため、悩みを消し去るには、宇宙のなかにただひとりで生きるしかありません。
しかし、宇宙のなかにただひとりで生きるという前提は成立しないため、悩みが消し去ることはありません。

ただ、悩みとは、他者が関係するもので、個人だけで完結する悩み(いわゆる内面の悩み)は存在しません。

例えば、155cmの身長の男性が、身長が高ければ人生が楽しくなると思って、友人に相談したとします。
その友人は、大柄で屈強な男性は、相手を威圧してしまうかもしれないし、一方で小柄であれば、相手は警戒心を解いてくれると伝えました。
つまり、155cmという身長は劣等性ではなかったということです。

われわれを苦しめる劣等性は、客観的な事実ではなく、主観的な解釈になります。
物事などに対して、どのような意味づけをほどこすか、どのような価値を与えるかが重要になってきます。
本来はなんの因果関係もないところに、あたかも重要な因果関係があるかのように自らを説明し、納得させてしまうということです。
また、主観的な価値観などは、最終的には対人関係に還元されていきます。
そのため、すべての悩みは対人関係に起因します。

自慢は劣等感の裏返し

自分の手柄を自慢したがる人、過去の栄光にすがり、自分がいちばん輝いていた時代の思い出ばかりする人は、あたかも自分が優れているかのように振る舞うのは、根底に強烈な劣等感があるために、偽りの優越感に浸るための行動。
なぜなら、本当に自信を持っていたら、自慢などしないからです。

また、不幸自慢も劣等感に由来します。
不幸自慢は、不幸であることによって特別であろうとし、不幸であるという一点において、人の上に立とうとします。
つまり、自らの不幸を武器に、相手を支配しようとします。

人生は他者との競争ではない

人生とは、だれとも競争することなく、ただ前を向いて歩いていけばいいのです。
他者との比較で生まれる劣等感は歪んだ劣等感で、理想の自分との比較で生まれる劣等感は、健全な劣等感です。
人生は、いまの自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値があります。

また、対人関係の軸に競争があると、人は対人関係の悩みから逃れられず、不幸から逃れることができません。
劣等感がある中では、他者は単なるライバルではなく、他者全般を、ひいては世界のことを敵だと見なすようになってしまいます。
そのような状況では、他者の幸福をわたしの負けであるかのようにとらえてしまい、祝福できなくなります。

逆に、競争の図式から解放されれば、だれにも勝つ必要がなくなり、他者の幸せを心から祝福できるようになります。

人生のタスクに向き合おう

他者を敵だと見なし、仲間だと思えないのは、幸せになる勇気のない人が人生のタスクから逃げているためです。

ここでいう人生のタスクとは、ひとりの個人が社会的な存在として生きていこうとするとき、直面せざるをえない対人関係のことです。
人生のタスクと向き合うことで、下記の目標が達成できます。
【行動面の目標】

  • 自立すること
  • 社会と調和して暮らせること

【心理面の目標】

  • わたしには能力がある、という意識
  • 人々はわたしの仲間である、という意識

人生のタスクは、下記の3つに分類されます。

  • 仕事のタスク ⇒ 仕事の対人関係
  • 交友のタスク ⇒ 個人的な対人関係
  • 愛のタスク ⇒ 恋愛関係・親子関係

仕事のタスクは、学校や職場で友好な関係をつくること。
例えば、ニートや引きこもりは、仕事にまつわる対人関係(仕事のタスク)を避けるために、働こうとしていません。

交友のタスクは、学校な職場のような場ではなく、そこから個人的な友人関係にまで踏み込んだり、学校や職場とは別に友人関係をつくることです。

愛のタスクは、「この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える」と思える関係を築くことです。

そして、人は「この関係を終わらせたい」と決心して、他者を嫌いと思ったり、他者を敵だと見なしてしまいます。
アドラーは、さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとする事態を、人生の嘘と表現しました。

そして、人生のタスクを回避せず、人生のタスクを達成するには、必要なのは善悪でも道徳でもなく、勇気です。



【第三夜】他者の課題を切り捨てる

他者からの承認を求めない

誰かのために仕事をすることや、見返りを求めて仕事をすることは、懲罰教育の影響です。
人は他社の期待を満たすために生きているのではありません。
他者の評価ばかりを気にしていると、他者の人生を生きることになります。
そのため、承認欲求を満たすために生きるべきではない。
逆に、他者もまた期待を満たすために生きているのではない。

しかし、他者の評価などを意識しないと、傍若無人に振る舞う人もいるかもしれません。
それを解決するのが、課題の分離です。
課題の分離とは、ある課題がある場合、その課題は誰の課題なのかという視点で、自分の課題と他者の課題を分離していきます。
そして、他者の課題には踏み込まないことです。

あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと、もしくは自分の課題に土足で踏み込まれることによって引き起こされます。
馬を水辺に連れていくことはできるが、水を飲ませることはできない。

ただ、アドラー心理学は放任主義を推奨しているわけではありません。
放任とは、相手のことをなにも知らない、知ろうともしないことです。
そうではなく、相手が何をしているかを把握した上で、見守ることをアドラーは推奨しています。

対人関係の悩みを一気に解消する方法

課題の分離を行った上で、自分の課題に対して、自分の信じる最善の道を選ぶことが人ができることです。
一方、その選択について他者がどのような評価を下すのかは、他者の課題であって自分ではどうすることもできません。

つまり、
他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない
これこそが、対人関係の悩みを一変させる可能性を秘めた画期的な視点です。

ほんとうの自由とはなにか

承認欲求は、他者から認められたいという欲求のため、承認欲求に基づいては自由に生きることができません。
他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払ってこそ、自分の生き方を貫くことができ、ほんとうの自由を得ることができます。
わざわざ嫌われるような生き方、悪行を働けということではなく、
嫌われる勇気を持つということ。嫌われる勇気を持つことで、ほんとうの自由を得ることができます。

【第四夜】世界の中心はどこにあるのか

共同体感覚を持つ

課題の分離は対人関係の出発点で、対人関係のゴールは共同体感覚になります。
世界の中心は、「わたし」ではなく、「わたし」は共同体の一員であり、全体の一部に該当します。
共同体の一員であるため、他者になにを与えられるかを考えなければいけません。

逆に他者の評価ばかりを気にする生き方は、自分にしか興味を持たない自己中心的なライフスタイルになってしまいます。

共同体感覚を身に付けたなら、より大きな共同体の声を聴くのが原則です。
目の前の小さな共同体に固執するのではなく、もっと大きな共同体を意識します。
例えば、定年退職して元気をなくす方がいますが、会社という共同体から切り離されただけなので、もっと大きな国や地域社会という共同体に貢献しているという意識を持ってほしいです。

叱ってはいけない・ほめてもいけない

ほめるという行為には、能力のある人が能力のない人に下す評価という側面があり、背後にある目的は操作です。
劣等感は、縦の関係の中から生じてくる意識ですので、縦の関係ではなく、横の関係に努めるべきです。

また、他者の課題に介入するのも、対人関係を縦でとらえて、相手を自分より低く見て、介入してしまいます。

ほめられることで、人は自分には能力がないという縦関係を形成してしまいます。
大切なのはほめることではなく、感謝の言葉を伝えることです。
人は感謝の言葉を聞いたときに、自らが他者に貢献できたことを知ります。
そして、共同体にとって有益と思えた時に、自分の価値を知り、自分に価値があると思えた時に、勇気を持つことができます。

横の関係を築くためには

まずは他者との間に、ひとつでもいいから横の関係を築いていくことがスタートです。
しかし、誰かひとりとでも縦の関係を築いているとしたら、気づかないうちに、あらゆる対人関係を縦でとらえてしまってます。
もちろん、年長者を敬うなということではなく、
意識の上で対等であること、そして主張すべきことは堂々と主張することが大切です。

横の関係が築ければ、ライフスタイルは大転換するでしょう。

【第五夜】「いま、ここ」を真剣に生きる

自己受容・他者信頼・他者貢献の3つ

共同体感覚を持つためには、事故の執着を他者への関心に切り替えることですが、そこで必要になるのが、自己受容・他者信頼・他者貢献の3つです。

自己受容とは、変えられるものと変えられないものを見極めて、自身の成長できるように考えることです。

他者信頼の考えは、他者を信頼する時に、一切の条件を付けないことが前提です。
条件付きの信頼は、担保や条件に基づく信用の関係になってしまいます。
また、信頼することを恐れていたら、結局は誰とも深い関係を築くことはできません。

他者貢献とは、わたしを捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろわたしの価値を実感するためにするものです。

人はこの瞬間から幸せになることができる

承認欲求を持っていると、共同体感覚を持てず、幸せを感じられません。
共同体感覚をもって、貢献感を持てれば、幸せになります。
また、貢献感とは行為ではなく、存在からも得られるため、生きているという貢献感で幸せを感じることができます。

特別になろうとすることは、他者の注目を集め、普通の状態から脱することです。
そのため、普通であることの勇気が必要です。
普通であることは、無能であることではないので、わざわざ自らの優位性を誇示する必要はありません。

人生とは、連続する刹那です。
人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那です。



まとめ

原因論と目的論のどちらが正しいかではなく、自分自身を変えたいと思うなら、目的論に立つしか道はないという哲学のものとにアドラー心理学ができていると感じました。
自分を変えることは大変ですが、そこは幸せになる勇気をもって、挑戦していくしかないですね。

また、自分の課題には誰ひとりとして介入させないためには、他者を介入しないようにコントロールする必要があるが、他者のコントロールは他者の課題に該当するので、他者の課題には介入しないルールに反する。
だからこそ、まずはあなたが行動に移すことが大切になります。

そして、「人生とは、連続する刹那」
瞬間瞬間の刹那の連続が人生となるので、いまこの瞬間を大切に生きることが重要であることを教えてくれますね。

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【嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え】
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